2018年9月7日金曜日

母校の歴史(小学校)

 飲みとかで同級生が面揃えてもあまり詳しいことまでは小学校の沿革が分からなかったりする。
折角なのでちょっと調べてみた。
新しくなってから行ったことがない春日井図書館に足を運ぶ。



まぁ立派な建物ですわよ。
その名を春日井文化フォーラムという。
郷土市史は4Fに上がるも探す時間も結構大変なので司書さんに教えてもらう。



だいたいざっとこんなもんだ。
まず、篠木小学校という事で「篠木」から。


<教育のあけぼの>
 「篠木」の名は遠く平安時代に遡る。1,086年白河上皇による院政が始まると各地に荘園の発生を見るに至ったが、天養元年(1,144)美福門院の為篠木荘が設けられた。
鎌倉時代に入ると一時は鎌倉五山の一つ鎌倉円覚寺に属した。こうして、室町時代の初頭、篠木荘野田密蔵院は篠木義談所、所謂天台宗大学林として広く中部地方全域にその光を投げかけ、また心ある人々が光を求めて集まった教育の場であった。隆盛の時期に於いては一山36坊、学徒3,000人を擁する一大学林であった。また密蔵院宝物庫にの頃夥しい仏書経典は当時密蔵院が果たした教化の働きがいかに大きかったかを物語るものである。
勿論その学林は現在の教育とは無縁のものであろうが、仏教と庶民の関係を考える時密蔵院が果たした働きは見逃すことが出来ない。(創立80周年 しのぎ 20年の歩み)
 密蔵院は現代でもありますね。
そして明治39年、町村合併により下原、八幡、小木田、雛五の四村が合併し篠木村が誕生。
その結果、現在の地に下原村立松原尋常小学校、雛五村立雛五尋常小学校、小木田村立小木田尋常小学校の三校が合一し、明治40年、篠木尋常小学校が開校。
明治42年に篠木尋常高等小学校、昭和16年に篠木国民学校と名称を変え、昭和22年に篠木小学校と現在の名称になる。
昭和43年に1,945人のマンモス解消のため神領小学校分校。
昭和46年に松原小学校分校。
昭和54年に北城小学校分校。
昭和56年に篠原小学校分校。

概ね上記の様な沿革になる。
あゆみの写真とかを見ていて思い出したのが校内にあった「なかよし広場」。
アスレチックのような今思えばすごい設備あったなぁと。
3階建ての木の櫓とか斜面のロープ渡りとかパイプの滑り台とか素晴らしい設備だったなぁ。
今でも有るんかいな。流石に木が朽ちとるかなw

そんな感じでいい勉強になったよ。

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